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間地峠付近の絵図(近年の水彩画) 6月5日一日限りに開かれた峠の茶屋 。


【間地峠】
およそ40坪ほどの平坦地があり、明治の初めまで3軒ほどの茶屋があった。


【供養塔】
往来する旅人の安全を願った六十六部廻国供養塔。


根雨宿の街並み。伝統的建造物の宝庫です。
 
【勝頼邸】近藤家一門、現在は印刷業 【緒形邸】昔は本陣、現在はタバコ店

 
【本陣の門】松平候参勤交代の宿 【近藤邸】たたら製鉄で栄えた旧家

峠から二部宿へ
峠を下りにはいると木立の切れ間から隠岐の島が見渡せる。
隠岐に流された後醍醐天皇もここを通ったとされる。

 
間地の集落へ向かう棚田の脇に一里塚、今は何世目かの松が植えられていた。
【二部宿本陣】
松平因幡守殿御領分二部 御本陣足羽伊右衛門とある。
文化13年(1816年)の参勤交代道中記より。

【参勤交代道中記】  抜粋
文化13年(1816年)
3月8日松平因幡守殿松江城御発駕
出雲郷(あだかい)で昼休憩
安来で宿泊、・安来市母里からお肴が届く・清水寺からお札が届く

3月9日米子市内を通り現八幡神社付近の日野川を渡る
溝口で昼休憩 本陣は篠原以左衛門邸
再び日野川を渡る、鬼守橋付近(溝口農協のあたり)
間地の峠越え、舟場の付近から三たび日野川を渡り根雨の宿へ
根雨本陣 梅林忠兵衛邸にて宿泊
・粕漬け鯛一桶・お酒手樽一樽が御国家老 表氏から
3月10日岡山県新庄村にて昼休憩 本陣 佐藤宇右衛門邸

・・・・とある。
コメント
やはり古事記神話の謎は天皇礼賛だけではないいびつな構造をしているある種の正直さが心惹かれるのでしょう。
古事記神話の構造をザックリいうと高天原の2度の地上への介入がその構造の中心となっている。1度目はイザナギとイザナミがオノゴロ島を作り、国生み神生みを行い、次にイザナミのあとを継ぎスサノオが
根之堅洲国で帝王となる。第二の高天原の介入はアマテラスによる九州への天皇の始祖の派遣とそれに続く天皇を擁する日本の話でこれは今も続いている。
これらの2度の高天原の介入に挟まれた形で出雲神話がある。天皇の権威を高めるのに出雲があまり役に立たないのに古事記で大きく取り上げられている。その神話の構造の歪さに我々は心を惹かれる。
たとえば天皇も大国主も大刀(レガリア)の出どころはスサノオでありその権威の根源を知りたくなってしまう。そうなると島根県安来市あたりの観光をしてしまいたくなる。
  • by 修理固成
  • 2020/10/18 2:27 PM
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