一定期間更新がないため広告を表示しています

順調に大型物件も受注できるようになり慌ただしさが増してきました。

一人で・・・
営業活動・設計業務・見積もり作業・現場管理・台帳整理まで
全てのことをこなさなければなりません。

だって・・・
建築士をはじめ、建築に関する業務が出来る人は私一人。
(人材を増やしたいなぁ・・)


幸いに・・・
M社のFC業務支援ソフトは、顧客管理から積算・契約書・台帳
・請求書に至るまで、一連の作業がキーボードひとつで出来るスグレモノ!

でもね・・・
当時使っていたパソコンはNECで5インチのフロッピーデスクに
保存していました。(えっ?5inデスク知らないの??)

むか〜し・・・
レコード盤がビニール製で出来たソノシートって・・・?
更に知りませんkane(笑)あの大きさのFDなんですが。。。


当時から現在に至るまでこの業務支援ソフトは・・・
T社・N社・I社など、どこのソフトも足元に及ばないくらいの
完成度の高さでした。
それに加えF社のCADを使っていたので、提案も早く喜ばれました。
(20年ほど前の話です)


しかし・・・
一人で活動するには限界があります。

そうだ!!!
次の工程に入る業者さんに「ほう・れん・そう」をしたら・・・。

解体が終わると、解体屋さんが水道屋さん・電気屋さんへ
「終わったよ!」と連絡をする。

水道屋さんが終わると、
水道屋さんが大工さんへ「終わったよ!」と伝言。

大工さんが終わると、
大工さんがペンキやさんへ「終わったよ!」と伝言。

ペンキやさんは、クロスやさんに「終わったよ!」と・・・
まるで「伝言ゲーム」そのもの(笑)



そのために・・・
個人事業者の多い職人さんたちに、今では当たり前になった
FAXを持ってもらうことを推奨しました。

まだポケットベルを持っている職人さんへは・・・
出来るだけ「携帯電話」に切り替えてもらうようにも。。。


中には携帯電話を持つことで「猛反発!」が・・・

ポケットベルでも「管理されている!」と嘆いていた職人さんは、
携帯は更に「身動きが出来ない!」とまで言っていました。
(今では信じられない光景ですね!)

携帯電話を所有することで・・・
会社から、少しばかりの「携帯電話手当」も出したのです。


協力業者(職人)さんたち同士のコミュニケーションがあったから、
比較的スムーズに事は運びました。

そのことで・・・
現場に誰も来ない日が無くなり、次工程の職人さんが
現場の外で待っている光景もありました。
(早く終われよ!だって(笑))

従って・・・
どの現場でも短期間(スムーズ)に工事が終了する事に・・・

現場に入る職人さんたちの・・・
コミュニケーションがいいので、
お施主様からは「どの職人さんもいい職人さんだね!」
お褒めの言葉を頂戴するようになったのです。


ますます評判は上がり紹介も増えて行きます。


そんなことがFCの本部にも知れ渡ることとなり・・
「取材をさせてもらえませんか?」となったわけです。

経営者も・・・
利益が出てくるようになると、
どんどんやる気を出してくるようになりました。

そんなある日・・・
「やだもんクン、認め印を貸してくれないか?」と・・・

人の良い私は・・・
「いいですよ!」「でも、何に??」
「ん〜、ちょっと・・・」と意味ありげな言葉尻です。。。つづく。


JUGEMテーマ:商い・商売に対する姿勢
 
バブルが弾けた社会情勢ではあったものの、
提案次第ではまだまだ高額の商品が採用していただける。
そんな時代背景でした。


トラバーユして数年が経過して、順調に工事高も伸び
日増しに忙しくなってきたのですが、現場の管理が思うほど
うまくいかなくなりました。
(一人では手が回らなくなっていたのです)

入社当初から・・・
協力業者(職人)さんはとても大切にしていました。

何かと集まる機会を増やしての「飲みニュケーション」


一番のイベントは・・・
加工場で春と秋に行う「牛の丸焼き!」でした。。


牛の太もも(30〜40Kg)の中心に鉄製の串を刺し、
炭火で豪快に焼き上げるバーベキューです。
(味付けは塩・コショー)

珍しさもあって、たくさんの職人さんたちが集まります。
そして、ビールのサーバーも100リットル位を消化します。

1時間も前から焼き始めないと、間に合いません。
焼けた部分からおのおの包丁を手に好きなだけ切って食べます。
(参加費は一人¥1,000です)


誰もやったことのない「丸焼きバーベキュー」は瞬く間に
米子市内でも評判のイベントとなっていました。

皆が食べ終わる頃には、骨の周りに少しずつ肉が残ります。

何時間も掛けて焼いた残り部分は「肉のたたき」となって、
ナマで食べることが出来るのです。(これが最高です!)


そして・・・
残った骨は、丸ノコで切断して各自が持ち帰り
おでんなどのスープだしに使います。
(牛すじもたくさん残りますから・・)

主に、土曜日の午後から始めるので、
残った肉やお酒で、片付け方々日曜日には再び小宴会が・・・


職人さんたちとは、そんなコミュニケーションが出来ていたので
職人さん同士の親しみや、つながりが自然と出来ていました。


そこでひらめいたのです
そうだ!彼らを巻き込んだ体制作りをやろう!!!

その方法は大当たりでした!  ・・・つづく。



JUGEMテーマ:商い・商売に対する姿勢
 
「経営まで任せても良いよ!」とまで言われて入った会社。

「夢」がありました、「やりがい」もありました。

時代の後押しもあって、順風満帆の滑り出しです。

 旧財閥の海外支店長まで歴任した経営者。
素晴らしく頭のキレる人でしたが・・・

サビている商品の陳列、とっくに廃版となっている商品の山
破れた袋物の商品がそこここに・・・


明治時代から存続する、そんな会社の・・・
帳簿を見せてもらうと、そこには大きなとても深〜い穴が。。。
そうです、2千万円という大きな損失があったのです。

確かに、経理面ではスバラシイ実力があっても、
リフォームの展開方法には、全くのシロウトだったのです。


M社のFC本部より・・・
あんなふうに、こんなふうに・・・と教えられ、
教科書通りに運営するも2〜3百万円と材料売りを合わせても
5百万円行くか、行かないかの売り上げ数字。

そこへ、仕事をしない会長を含めると、なんと9名もいる。

これじゃあ人件費で飛んでしまいますね!



そこに・・・
一人で5百から1千万という数字をコンスタントに出したモノで・・・

「リフォームってえらい儲かるもんやな〜!」

「やだもんクン、俺もう少し続けても良いかなぁ?」
だって。。。


「いいですよ!だって社長の会社じゃないですか!」
人の良い私は、「任せても良いよ!」との言葉を
胸深く封印したのです。


そんな実績を認めてもらってか・・・
毎晩のように飲み屋に連れ回され・・・
「やだもんクン!キミ・・取締役になってくれないか?」との誘いが。。

以前の会社と違い、今度は「はい!喜んで引き受けますよ!」と。


当時のM社(現P社)は・・・
FCショップを全国に400店舗以上展開していました。


私がお客様と商談して・・・
図面を描いて、見積もりをして、工事管理をして、台帳・請求書まで
一貫した管理をしなければなりませんでした。

2〜3ヶ月に1回はイベントの企画・開催もしていました。

当然オーバーワークになりがちです。。


ん〜!これじゃぁカラダが持たないゾ〜!
そこでスバラシイ秘策がひらめいたのです。
一人で何もかも行うのには限界がある!

もっと効率の良い管理は出来ないモノか・・・
夜も寝ないで・・(昼寝てましたが(笑))



その秘策について紹介して欲しいと・・・
M社の活動写真部?がわざわざ、民放の美人アナウンサーと一緒に
大阪から撮影ロケ隊を繰り出しての録画撮りが始まりました。

その秘策を実施している状況、秘策のメカ、お施主様の反響まで
つぶさに撮影するのです。



のちに・・・
当時M社のFCショップを新規オープンする場合の参考モデルとして、
全国にVTR(30分番組)で紹介されることになるのです。
(平成4年頃のお話です)

その全国にとどろいた秘策とは・・・ つづく。。

JUGEMテーマ:商い・商売に対する姿勢
100528_0730~0001.jpg
米子市の花は『ツツジ』です。

通勤途上、信号待ちで目に付いた光景。

鮮やかなコントラストにお目目パッチリしました。

今日も1日頑張ります!
学校を出て23年間勤め上げた会社を「円満退職」。
そして、大企業のP社から誘いを受けてリフォームのFC店長へと。


その会社は・・・
駅前に数件のビルディングを所有し、マンションや駐車場も数件。。
かなりの資産家が経営する会社でした。


社長は・・・
旧財閥の銀行で海外支店長だったところを、
後継者として呼び戻されFCを始めたものの。。。

あまりのカルチャーショックと、
リフォーム運営方法が分からず、投げ出し気味。


そこへ・・・
私へ「白羽の矢が」刺さったと言う次第です。
(「経営も任せる!」と言っているんだ・・と)

経営を任せて戴けるようなら・・・
年収が200万円くらいダウンしても「夢」があるよなぁ〜!


駅前のビルディング、道路を挟んで両方に店舗が・・・


そこに並べられていた商品は・・・・
サビだらけの金物(販売商品です)。
荒縄で梱包された木箱のタイル(数十年前の商品)。
破れてはみ出た梱包品など、信じられない「化石」のような商品群。


明治生まれの会長が・・・
「これはまだ売れるんだ!」と意気込むので
私のアタマは????×100(笑)


銀行支店長だったから・・・
帳簿はきっちりと・・と思いきや、2千万円の赤字が計上。
(資産家だから余裕なのかも(苦笑))


まず、取りかかったのは・・・
駅前の1等地に、サビて売れない商品が占める価値?
倉庫内にある、数十年前の商品の整理。(勿論廃版品)
(会長のいない間に・・)

そこへ、回転の良い商品を陳列。
がむしゃらに働きました。


わずか・・・
2年間で2千万円の赤字を補填することが出来たのです。
(バブルがはじけた、まだまだブームだった頃です)


驚いたのは・・・
もちろん経営者です。

「ほぉ〜!」
「リフォームって儲かるんだなぁ〜」



それまでやっていたリフォーム内容は・・・
蛇口パッキングの取り替えや、雨樋の修理など。

灯油ボイラーの取り替えが一番高額なリフォームでした。

コネにより初めて受注した大型工事の大赤字発生。
(管理者もいないのに、請け負った勇気がスバラシイ!)
不良在庫と、人件費などで巨額の赤字が発生していたのです。


そんな中で穴埋めが出来た実績を目の当たりにして・・・

社長が言ったひとこと・・・・「やだもんクン!・・・・・」 つづく。。


JUGEMテーマ:商い・商売に対する姿勢